歴史を巨視的に見ると現在の人類は、若々しい活力や好奇心を失い、もはや漫然と死を待つだけの老人である。社会や政治といった表層的な話ではない。生物にとってもっと根本的な「食べる」という行為に関する話である。
 食べ物の「味」こそは疑いの余地もなく、普遍的価値をもった人類の文化である。芸術・思想・宗教・娯楽などと一切無縁な人生は考えられても、食べ物の味を味わわない人生は考えられない。この人類の最も基礎的な文化である味覚の領域で、我々人類は千年以上、真の創造性をすっかり忘れ、怠惰に時を浪費している。
 確かにただの「新しい味」なら、家庭やレストランや食品会社で、日々「発明」されているだろう。しかしそれはすでに千年以上前に出揃った材料の、掛け合わせの新しさに過ぎない。「国際文化交流」の美名のもと、毎日地球の上空では無数のジャンボ旅客機が、貴重な化石燃料を燃やし尽くしながら飛び交っている。そんな今日、各国の食文化をハイブリッドさせた皮相な新メニューの登場は日常茶飯事であり、もはや何の驚きも我々に与えない(これは芸術・思想・宗教・娯楽にも当てはまる)。色とりどりの絵具を混ぜると汚れた灰色になるように、こうして地球という星は退屈な均質化の一途を辿っている。これを人類衰滅の前触れと言わずして何と言おう。
 我々は今ここに、人類の命運を賭け、新しい味の「元素」を「発見」するプロジェクトを始動させることを宣言する!
 新しい味の「元素」とは何か? それは化学における元素と同じく、それ以上分解できない、料理の味を決定づける、味の基本的構成要素である。それはもちろん穀物や肉や野菜といった料理の主材料や、スパイスやハーブの類いを含む。しかし我々が特に熱望しているのは、新しい発酵食品・発酵調味料の発見である。平たく言えば、食べられて、かつ未だ人類が味わったことのない美味をもつ「腐ったもの」が、まだこの地球にはたくさん隠されているはずなのだ。パン、チーズ、ワインやビールなどのアルコール類、酢、ヨーグルト、発酵性の漬け物、そしてなにより、醤油をはじめとするアジア各地に伝わる発酵調味料の数々‥‥これらはすべて、微生物の存在さえ知らなかった千年以上前の輝かしい我々の先祖が発見し、創造してくれたものである。
 「新しい味の元素の発見」を、目先の利益追求に囚われている現代の料理人や科学者に任せておくわけにはいかない。この困難を極める大事業に挑戦するのは、むしろ原始人の好奇心と勇気を取り戻したアマチュアこそ相応しい。困難を極める大事業? 然り。なぜなら発見されるべき「新しい味の元素」とは、例えば『モナリザ』にも負けず劣らない、未来の全人類に対する最上級の文化的贈り物になるのだから。  まやかしに雑種のバリエーションを増やすだけの国際文化交流も、まやかしに進歩を演じるだけのアート・ゲームも、そろそろ止めようではないか。今こそ人類史に対して真に実質のある文化的贈り物を、真の創造を!